映画「三丁目の夕日」そのままの世界で育った少年時代

 
私は、昭和30年代の東京下町で生まれ、映画「三丁目の夕日」そのままの世界の中で小学生時代の前半を過ごしました。駄菓子屋、粘土屋、角ぶつけ、近所の公園で走り回って遊ぶ毎日、月に三回縁日があり、露店で文化フライを食べるのが楽しみでした。
得意なのは、走るのが早いこと、理科、図画工作、算数。
 

東京の下町から突然富山へ引っ越し

 
今思うと、プラモデル作りが好きなのと、動物好きで生物図鑑をいつも読んでいたこと、「ウルトラQ」のようなSF漫画も大好きだったので、小学校で習うような知識を習う前に自然に持っていたようです。

その頃見ていたテレビの漫画などは、私の人格に大いに影響しているような気もします。母も仕事をしていたので、小学校から帰ると祖母がおり、人一倍可愛がってもらい、たいへんお婆ちゃん子でした。そんな東京の下町っ子だったのですが、5年生に上がるときに父の転勤で突然富山県へ引っ越すこととなりました。

富山の小学校では、環境の違いに大いに戸惑いましたが、数か月して無意識に富山弁を話している自分に気づき驚きました。 その頃にはすっかり富山っ子になってました。のびのびした富山で中学・高校と順調に進み、大学は東京の実家から通う予定でした。私の人生が大きく変わり、今このような活動に参加しているキッカケはこの時始まります。
 

受験当日にまさかの・・・

 
受験で東京の実家に戻っておりましたが、それまで元気に実家を守っていた祖母が夜中に突然くも膜下出血で倒れ、数時間後に亡くなりました。

正に受験日当日の朝でした。

集まった親戚たちに励まされて一睡もしないまま受験会場へ向かいましたが、その後は頭の中が真っ白で、何がなんだかわからないまま受験に失敗し、浪人生となりました。

翌年の受験で気づいたのですが、どうやら大きなトラウマを作ってしまったようで、受験会場で机に座ると頭の中が真っ白になってしまい、よくわからないまま時間だけが過ぎてしまいます。何度も受験に失敗し自信というものが完全に無くなってしまい、何をやっても上手くいかないという自己イメージが出来あがってしまいました。

そんな中でも運よく受け入れてもらえる大学があるもので入学が叶い、無事卒業し、そして就職しました。しかしながら就職後すぐに体を壊してしまいました。
 

体が思うように動かなくなってしまった

 
様々なストレスが一気に押し寄せたことが原因で腎臓を悪くしてしまいました。その頃は、何に対してもあまり自信が無かったのですが、唯一自信があるとすれば体力だけでした。10日間寝込み、会社に復活しましたが午後になると体が思うように動かなくなります。徒歩10分で行くところを、休み休み歩いて40分ぐらいかかります。

人並みに就職活動し、自分なりに良い会社に入ったと思っていたのですが、会社を3か月で辞めました。体調が元に戻るのに2年かかり、28歳になり、その頃は門戸が広かった外資系の会社に就職し生活は落ち着きました。
 

人生最大のショックが洗い流した不運

 
しかしながら、内容は記しませんが間もなくして人生最大級のショッキングな出来事を体験します。そして、なぜだかこのショックが受験失敗からの10年間の不運を全て洗い流してくれたのだ、という不思議な感じを体験しました。その時に本来の自分をやっと取り戻したような、そんな感覚でした。

今思うと、「こうでなければいけない」「こうしなければならない」「○○ねばならない」という思いと、それが上手くできない自分との間で、もがき苦しんだ10年間でしたが、そのショッキングな出来事で、「ねばならない」というこだわりが馬鹿らしくなり、どうでも良いから「自分らしく生きよう」という考えに気持ちがシフトしたのだと思います。
 

これまでの10年間は、いったい何だったのだろうか?

 
そんな疑問から、心をもっと強くしたいと思いうようになり、「心と体の関係」や「意識と無意識」について自分なりに勉強を始めました。

それから20年、

縁あってアメリカの教育学者であるルー・タイス先生の講座を受講するチャンスに恵まれました。

先生自身の体験を通した説明が解りやすく、私が疑問に思っていたことがその講座でクリアになり、分散して持っていた知識を統合することができたように思いました。ルー先生から学んだことを、もしも自分が高校生の頃に知っていたなら、あのネガティブな10年間は無かったかもしれないと、その時思いました。
 

メンターになりだれかの力になりたい

 
自分もルーのようなお爺ちゃん(メンター)に近づきたいと思い、講師養成講座も受講しました。そして養成講座で出会った仲間たちと一緒に作ったのがメンターリング・アソシエイツです。

「一人でも多くの青少年と悩める大人にルー先生から学んだ多くのことを伝えていきたい」 という思いが、私がこの活動に参加している理由です。残念ながらルー先生は2012年に他界されましたが、ご意思を引き継ぎ活動し続けていきます。

まだまだ学ぶべきことはたくさんありますが、一歩一歩前進する姿を多くの人に見て頂くことで “私の目指すメンター” に近づくことができるのだと思います。

「だれかの力になりたいと思ったときに、自分に力がなかったら、とても残念です」
自分に、いま力がないとおもったときにも、だれかのために出す力は、ちょっと残っていたりする。そして、力って、使うほどついていくものだ。「だれかの力になりたい」というのは、本能に近いようなことじゃないかと思う。

糸井重里さんが言ったこんなことを、どこかで読み、自分の感覚に近いなぁと思いました。

「だれかの力になりたい、人がよろこぶ顔が見たい、もっと力をつけたい。」
このようなメンターで在り続けることが私の目標です。